藤井優子ORAから中井社長にお会いできるというお話をいただいて以来、今日の日を楽しみにしていました。とても光栄です。 どうぞよろしくお願いします。
中井それはそれは、こちらも光栄です。
よろしくお願いします。
優子 さっそくですが、私は守口市で「藤家」という店を経営しています。商売の右も左もわからない状態で8年前に開業し、我流でがむしゃらにやってきて今日に至るのですが、 今後どうしていくかということがひとつの課題です。中井社長も1軒の店から始められたと思うのですが、どのようにして“今”があるのかお聞かせ願えますでしょうか?
中井私は中学卒業後、市場に丁稚奉公へ行き、その後、義兄が経営する小さなレストランで働きました。 2年間、そのレストランで年中無休、始発から終電までの時間働き、いずれは洋食屋をやりたいと思っていたのですが、義兄から長居にあるお好み焼屋を継いでくれと 言われたんですね。洋食屋をやろうと思っていたのに、そんな事情でお好み焼屋をやらなくてはいけなくなった。
藤井一同そうなんですか!
美幸最初からお好み焼屋をしようと思ったわけではなかったんですか?
中井 そう。で、いざやってみると、お好み焼はなかなか手ごわかった。キャベツと小麦粉で作るというシンプルなものやから、余計難しいんやね。 でも、そのシンプルなとこに洋食屋での経験が生かせたんですわ。例えば、鉄板でハンバーグを焼いてみたり、すき焼き定食を作ったりと、一般的なお好み焼屋とは違った個性を 出すようにいろいろと工夫した。そのうち、千日前のあるビルの2階に店舗を出すという流れになりました。
愛子ミナミへの第一歩ですね。
中井とはいうものの、中心地からは少し外れているし2階という立地ではなかなかお客様に上がって来てもらえなかった。 またそこで工夫ですわ。いろいろ考えた挙句、手品を習ってお客様の前で披露してみた。そしたら、これがお客様にウケて、 徐々に手品愛好家の方までがやってきてくれるようになった。でもね、手品のネタが尽きてくるとお客様の足も途絶えてくる(笑)。 もっと工夫を凝らして、お客様に2回来てもらえるような店にせなあかんと従業員たちと毎晩のように話し合ったんです。その時、一人の従業員が 「何か物を忘れたらお客様は2回来てくれはると思います」と言ったんですね(笑)。
藤井一同(笑)
中井 忘れ物したらお客様は2回来る。それは当り前のことなんですが、その言葉がずっと頭に残ってたんですね。で、ある日新聞を読んでたら絵馬の記事が載ってたんです。 その時「これや!」と閃いた。それで親交のある神社に連絡し、絵馬を売って欲しいと頼んだんです。そしたら、絵馬を作っている会社を紹介してくれたんですね。 それですぐ電話して500枚買ったんです。
優子絵馬ですか。
中井そう。この絵馬がえらい人気を得て、思惑通り2回来て下さるお客様が増えました。
美幸すごいですね。
中井 でもね、途中からなんとなく商売の道から外れているような気がしてきたんですね。それで、店内の絵馬を飾っているところに、お賽銭感覚で入れてもらえたらと 思って募金箱を置くようにしたんです。そしたら、有難いことにたくさんのお客様が募金して下さるようになった。 それで、集まったお金は皆さんの善意ですから、当時「恵まれない子への募金」を募集していた産経新聞に連絡して寄付したんです。そしたら、産経新聞が記事にしてくれた。
愛子良いことは良いことへとつながっていくんですね。
中井 そうですね、有難いですね。新聞記事効果でお客様もドンドン増え、いつの間にか鶴瓶さんや放送作家の新野新さんも来て下さるようになった。 それで今度は、彼らの番組のスポンサーになったんですわ。それが「ぬかるみの世界」という番組で「ぬかるみ焼き」が誕生したというわけです。
優子そうだったんですね。「ぬかるみ焼き」は、もちろん存じています。
中井
もちろん、えぇことばっかりと違いますよ。平成2年、道頓堀に49億で7階建ての自社ビルを買ったんですね。その頃はバブル景気で地価が下がるなんて誰も思いもしなかった。
なのに、それが急にガタッと下がったんですね。
それからは、ほんまに大変でした。まさに地獄ですよ。でもね、今、そうした困難の時期を越えてきて思うのは、「もうあかん!」と思うようなピンチの時こそ、
一番えぇ時期なんやと思います。試練の時こそ人は模索し、考え、そして成長する。一生懸命やってピンチを切り抜けた時には、言葉にできないくらいの爽やかな気分が味わえるんです。
優子ピンチの時が一番良い時期と思えるようになれば、もう怖いものはないのではないですか?
中井いやいや、ありますよ。一番怖いのは忙しい時ですわ。
美幸えっ?暇な時ではなくて、忙しい時が怖いんですか?
中井そう、忙しい時が一番怖い。というのは、お客様に充分なサービスができなかったのではないかと思うからです。 商売というのは、刈り取りをしながら種まきをしなくてはいけない。でも、忙しい時は種をまくことができないんですね。
優子なるほど…。
中井
せやから、お客様に不愉快な思いをさせたかもしれないと思うと怖くなるんですね。今日の売り上げというのは昨日までの売り上げが作ってきたもので、
今日の売り上げは明日へと続いていく売り上げだと思っています。だから、今日のお客様に満足頂けなかったとしたら、明日からの売り上げに続いていかないと思うんです。
だから怖い。
逆に暇な時は「良かったなぁ。今日はきっちり丁寧なサービスができた。今日のお客様は必ずまた来て下さる」と思えるんですよ。
一般的には、忙しい時は肉体的にはしんどいけど精神的にはラクで、暇な時には肉体的にはラクやけど精神的にはしんどい。私の場合は、それが逆なんですわ。
愛子はぁ、目からウロコが落ちる思いです。
中井あと、美味しく食べて頂くためにはガランとした雰囲気はあきませんね。どんなに美味しいものを食べても落ち着きませんわ。 せやから、店には常に人がいる状態にしておく。昔は暇な時、従業員にユニフォームを脱いでもらって普段着でカウンターに座っててもらったりしたこともあります(笑)
藤井一同(笑)
中井 やはり、人が人を呼ぶんですね。そうそう、こんなこともありました。 「ぬかるみ焼き」が評判になった時、飲食店では暇な時間帯とされるアイドルタイムでさえも満員になったんですよ。なぜと思います?
愛子他店の方が偵察に来たのですか?ちょうど休み時間だし…。
中井そう、そうなんです。他からたくさん偵察に来てくれはった。で、偵察といえば味を盗みに来たように思いがちですが、ところが違った。
優子えっ?味ではないのですか?となると、サービスですか?
中井 いえ、味でもない、サービスでもないんです。偵察しに来られた目的は、千房の従業員はなぜあんなにイキイキと目を輝かせて働いているのかということを探りに来てはったんですわ。 自分の店の従業員のモチベーションを上げるためにリサーチに来て下さっていたんですね。そやけど、外から見たらその方たちも一般客に見える。 それで客が客を呼ぶという好循環が起きて、アイドルタイムさえもお客様でいっぱいになったんです。
優子それはすごいですね。偵察に来られるほど従業員の方が楽しそうに働いてらっしゃるということには、なにか秘訣があるんですか?
中井 私は商売において、人を大切にするということが最も大切なことだと思っています。ですから、従業員も大切にしたい。 もちろん、甘やかすというのではなく、働く現場では厳しいことも言いますし怒ることもある。でもね、それは愛情です。 相手に対して愛情がなかったら説教したり怒ったりはしないですよ。そんなん疲れるだけですから。だから、ちゃんと愛情を持って向き合いたい思っています。 また、私ども「千房」は“夢とロマン”を売っていると考えているので、従業員たちにも“夢とロマン”を持ってもらいたいと思っています。 売る人に“夢とロマン”がなければ話になりませんからね。
優子例えば、どのようなことをされているんですか?
中井 年に2回「メニューシンポジウム」というものを開催しています。これは全店参加のイベントで、 それぞれの店から毎回試作品を出展してもらって競い合う、いわばコンテストのようなものですね。 それで優勝した試作品は新メニューとして全国の店で扱います。もちろん、賞金も出しています。
美幸賞金も嬉しいですけど、自分の作品がメニューに登場するのは嬉しいですよね。
中井それともう一つ。とことん従業員のことを信じることも大事だと思っています。 極端な話、開店当初は学歴や成績、素性もなにも聞かずに、面接で良いと思ったら採用してました。 素性などは徐々にわかるやろうという感じでね。だから、いろんな人がいましたよ(笑)。
愛子初対面の人を信じるって、できそうでなかなかできないことだと思うのですが、中井社長はどうしてそのように信じることができたのですか?
中井 それは、能力もお金も何もなかった私を信じて下さった人たちがいたからです。そんな人がいて下さったからこそ、 今の自分があると思っています。本気で信じてもらえた人間は一生懸命頑張ろうと思えるんですね。実際に私はそれで頑張ってこれましたから。 だからこそ、私は人を信じたい。そう思っています。
優子 素晴らしいですね。人を信じることの大切さを痛感致しました。本当にいろいろと貴重なお話を有難うございます。 では最後に、今一番ご興味のあることがありましたらお聞かせ願えますでしょうか?
中井 今、興味があるというか、今後続けていきたいと思っているのは、元受刑者の採用ですね。
優子 あっ、そのお話、テレビで拝見して感動しました。
中井 有難うございます。これは2年ほど前から始めたのですが、コツコツと続けていきたいと思っていることなんです。 もちろん、この件に関しては賛否両論ありますよ。でもね、一生懸命頑張ろうとしている人に少しでもチャンスを与えることができたらと思っているんです。
美幸 なかなか思ってはみても実現するのは難しいことですよね。
中井 そうですね。でも、私自身、たくさんの人に助けてもらってここまでこれたから、今度は私が少しでも力になれたらと思うんです。 経営や教育というのは、一人で走るマラソンではなくて、次の人へバトンを渡す駅伝なのだと考えています。 後から走って来る人に、夢と希望のバトンを手渡したい。そんなふうに願っているんですよ。
優子 そんなあたたかいバトンを頂いたら、人間頑張ろうと思いますよね。
中井 そうですよね。出所して再犯を犯してしまう人の大半は、無職だと言われています。 前科があると就職できないという事実もあると思うので、就職支援は必須なんだと思います。現在、刑務所と少年院を出所した人が各2名ずつ、頑張ってくれています。 テレビを見て下さったのならご存知だと思いますが、あの番組で彼等の姿にはモザイクをかけたり仮名を使ったりすることはしなかったんですね。
優子 あれを見た時、すごいなぁと思いました。
中井 あえてモザイクを外したのは、今頑張っている自分に自信を持って前を向いて歩いていってもらいたかったから。 過去は過去。今の自分は違うぞ!と胸張って頑張ってもらいたいという思いからなんです。
優子 皆さん、生き生きした表情が印象的でした。
中井 そんなふうに頑張っている彼等が努力を重ね、いずれ店長になって今度は自分が刑務所や少年院で面接をして、次の人にバトンが渡せるようになってもらいたい。 藤井さんもちゃんと娘さんたちにバトンを渡そうとしていらっしゃる。我々先に走ってきたものが責任を持って、しっかりと次の人へと夢とロマンのバトンを渡していきましょう。
優子 そうですね、頑張ります!今日は本当に貴重なお話を有難うございました。
愛子 しっかりと受け継いで頑張っていきたいと思います。有難うございました。
美幸 すごくやる気がこみ上げてきました。これからも頑張ります。有難うございました。
中井政嗣氏プロフィール
1945年奈良県生まれ。1973年大阪ミナミ千日前にお好み焼専門店「千房」を構える。
大阪の味を独自の感性で全国に広め、ハワイにも支店を設ける。現在は社会教育家として講演活動も積極的に実施。
藤井優子氏プロフィール
2003年守口市に「鉄板焼・もつ焼きうどん 藤家」を開店。5人娘に恵まれ、現在は長女・愛子、三女・美幸と3人で店を切り盛りする。 国産もつと野菜、うどんを甘辛のタレで焼き上げた「もつ焼きうどん」が大人気。