西谷ORAから本日のお話をいただき、昨日からとても緊張していました。本日はありがとうございます。 いろいろとお聞かせいただければと思いますので、よろしくお願いします。
小嶋ありがとう。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。
西谷私は、大阪の八尾市で「ごかせ川」という鰻料理屋を、道頓堀でも鰻を扱う和食料理の店「つぼみ」を経営しています。老舗の鰻屋と比べると、まだ40年足らずの若い存在です。激動の外食業界で勝ち残る為に「温故知新」を信条に、経営に取り組んでいます。変えてはいけない部分、良い部分を吟味して、いかに”らしさ”を表現できるか。社員達と議論を重ね、進むべき道を開拓しようと模索しています。そこで、是非とも小嶋会長の、経営における信条をお聞かせいただきたいのですが?
小嶋看板にも掲げている「旨くて安い」が信条です。その原点は、私が高校生の頃にさかのぼります。私は6人兄弟の末っ子として和歌山に生まれ、実家はよろず屋を営んでいたのですが、私が高校2年の頃に母の具合が悪くなってしまった。父はもう他界していましたし、兄たちはすでに家を出ていたので、私がなんとかしなければ店がなくなる。そこで、高校に通学しながら、なんとか商売を続けていこうと覚悟を決めたのです。
西谷はじめから飲食業ではなかったのですね。しかも高校生となると、
かなりご苦労をされたのではないですか?
小嶋商売のことをほとんど知らない若造がいきなり店主です。今のように情報はないし、商売を教えてくれる人もいない。だから、うちで買い物してくれたお客様に、とことん聞くことから始めました。なぜうちの店に来てくれたのか。
なぜこれを買ってくれたのか。それを粘り強く続けていると、お客様からも、あれが欲しい、もっと安くがいいと、いろんな声をいただけるようになったんです。そうして、ある結論にたどり着いた。自分が食べていくために店をやっているのではない。店が来てくれるお客様や地域の人の役に立って初めて、商売は意味があるのだと。だから、お客様に喜んでもらえるように「どこよりも良いものを、どこよりも安く」提供することこそ、商売の鉄則なのだと考えるようになりました。
西谷商売の基本ですね!徹底的な現実・現場主義を貫かれている。
小嶋そう、その信念だけで60年間商売を続けてこれたようなものです。やっぱり自分で経験したこと、身に染みて感じたことは、教えてもらった知識や理屈、空理空論とは比べようもないものですし、それこそが自分の信条になると思います。そして、信条がしっかりしていると悩まない!その実現のために、従来と違った方法……新しい仕入れのルートをつくるといった、次の手段や目標が見えてくる。だから、最初に抱いた志を崩してはだめ。自分が揺らいではいけませんよ。これも温故知新ですね。
西谷なるほど、勉強になります。その後、どのようにして飲食の道へ進まれたのでしょうか?
小嶋よろず屋だけでなく、もっと本格的に商売をしてみたい。そう考えてきた頃に、兄が帰省してくれたんです。それで、まず大学に行って経済を学ぼうと決意しました。というのは、実は口実で(笑)本当は、商人として生きていくなら、都会の生活を知ることも必要だと考えていました。在学中には素晴らしい出会いもありました。ある著名な教授がいたのですが、その方が食堂で昼食を取られていた時、他の学生は誰も近づこうとしませんでした。私はこれ幸いと考え、よくご一緒させていただき、色々な話を伺いました。今でも鮮明に覚えているのは「学問とは理念である」という言葉です。理念がなければ、どれだけ勉強をしても知識が増えるだけ。学ぶことは手段であって、明確な目的がなければ意味がないということですね。これは私の商売の哲学にもなりました。また、京都・高雄にある神護寺の和尚の言葉も胸に残っています。商人という言葉を書かれて、「商いとは人の上にある。商いを大きくするには、人としての自分を磨く以外にない」とおっしゃったのです。この言葉も、私の商売に対する考え方のひとつの指針となりました。
西谷目的意識を持ちながら、常に自分の成長のために努力をする。商売はもちろん、人生の極意ですね。
小嶋そうです。そのような教えで得ることのできた教訓を胸に、私は授業の合間に街へ出て、色々な店や人を見てまわることにしました。そこで目をつけたのが、当時一番遅れている業界である飲食業。その中でも寿司屋だったのです。まだデリバリーや冷蔵技術も整っておらず、職人気質のおやじが店を切り盛りしていた時代。他の飲食業と比べても、企業とはほど遠い個人商店でした。だからこそ、大学を出て信用も金もない自分でも、努力次第で追いつけると感じたのです。
西谷そうだったんですか。
小嶋しかも、よく見ていると、寿司屋は、外食のなかで実は一番儲かっているのように見えました。実際、私が店を始めた頃、他の定食屋の単価が40円程度だったのですが、うちはだいたい500円。それでも安いと言われるほどでした。店の発展には、利益も大切。素人でも工夫次第で将来の発展が見込める寿司屋こそ、自分の進むべき道だと考えたのです。卒業して寿司屋で調理技術を学んで、1年後に大阪の十三に出店。そこから2年後に、
現在の十三寿司店に移転し、店を大きくしても「旨くて安い」の姿勢を崩さずに、こつこつ真面目にやってきました。そうしているうちに、PCB(ポリ塩化ビフェニール)問題で寿司屋や魚屋が閉店に追い込まれたとき、世間の流れとは逆に私の店に来てくれるお客様が増えたのです。お客様に聞いてみると、やっぱり魚は好きだから食べたい。どうせ食べるなら信用できるところに行かないと!との話でした。
西谷改めて信用の大切さが身にしみるお話ですね。本業に真剣に打ち込んでこそ、お客様からも信頼していただける。でも、そのように多店舗化されていくにあたって、やはりクオリティーの低下など問題も多かったのではないでしょうか?
小嶋試行錯誤しましたね。昔は、本社の上に研修室やモデル店舗をつくり教育訓練をしたこともありました。大阪府の職業訓練認定校にも認定され、これで上手くいくと考えていた。でも、従業員はスマートになるけれど、なんだか元気がない。なぜだと思います?
西谷真剣に学ばないから…ですか?
小嶋人間は教えられると、どうしても受け身になるんです。それに気がついてから、だったら教えない教育をしよう!と考えました。いま、パートやアルバイトも含め、全員で行っているのが「QCサークル活動」、いわゆる課題達成型の人材育成です。パートさん中心のチームが製造業もあわせた全国大会で銀賞になったこともあります。
西谷飲食業でそれはすごいですね!
小嶋がんこでは、年に1回全社発表会も行っていて、これは調理や洗い場の人たちにとってもハレの舞台で、自分たちの成果を発表できる場を作ろうとの思いから始めました。やっぱり自主性あってこその成長なんです。自分たちでやった工夫は絶対に活きる。これは私自身が身をもって感じてきたことでもあります。目標や数値はみんなで時間をとって議論するけれど、その手法は従業員に任せる。そうすると、自分から勉強もするし、その実現にこそ人間としての成長がある。人をひとつの方向でまとめるのは根気のいることだけど、根気でまとまるのならば楽なことです。経営者がそれを諦めてはいけない。だからこそ、日々の従業員やお客様との関わりは絶対におろそかにしないことです。
西谷その通りですね。私自身にも身に染みて感じるところです。
小嶋お客様に喜んでいただけることで、自分も嬉しい。従業員が心からそう感じられる現場から、アイデアや工夫が生まれる。マニュアルでは人は育たないし、喜びません。私は喜び上手になれと云っていますが、食いしん坊で商売好きな私が、食の商いを続けていられる理由もこれに尽きます。経営はよく人・物・金と言われますが、私にとっては人・人・人だと思っています。
西谷近年はメディアでも取り上げられているように、シラスウナギの不漁で価格の高騰が起きています。私たちにとっても非常に厳しい環境で、変化の時だと感じています。小嶋会長ご自身も様々な変化を経験されてこられたと思いますが、何かアドバイスいただけますか?
小嶋大切なのは、原点から離れないこと。先程の信条の話にも通じるけれど、やっていることは変わらないんですよ。扱っているのは、昔からある寿司、蕎麦、うどん、とんかつ。それを、いかに時代の変化に合わせ、お客様に喜んでもらえる要素を詰め込みながら「旨くて安い」を実現するか。鰻も一緒じゃないですか?実は私も鰻は大好きなんです(笑)
西谷そうなんですか(笑)でも、確かにおっしゃる通りですね。
小嶋自分のしたいことがわかっていると、迷わない。変化の時こそ、先行している企業はなかなか変われないものです。だからこそ、西谷さんのような人の方が、先へ進めるチャンスですよ!悲観する必要なんてない。私自身、年頭の挨拶ではいつもポジティブなことを言っていますしね。「市場規模が縮小していると言っても、外食中食で30兆もある。そのなかで、工夫をして店舗を増やしていければ売上なんて青天井だ」と。あとは、満足しないこと。いま来てくれているお客様が喜んでくれていても、それはその時だけ。次に来てくれる時にもっと喜んでもらえる方法は何か?常に考え続けることです。
西谷本当に、貴重なお話をありがとうございました!変化のときほどチャンス。
この気持ちで常に前を向いていきたいと思います。
小嶋淳司氏プロフィール
高校在学中に家業のよろず屋を継ぐ。その後、同志社大学を経て寿司の名店で1年間修行。1963年、大阪十三に寿司店「がんこ」を創業。がんこフードサービス株式会社の会長を勤める傍ら、(社)大阪外食産業協会会長、(社)日本フードサービス協会会長、関西経済同友会代表幹事など歴任。現在、大阪商工会議所副会頭。
西谷泰亮氏プロフィール
高校時代は研修生としてプロゴルファーを志す。父の他界後、家業を継いで事業を始める。現在は大阪八尾の鰻屋「ごかせ川」の他に、道頓堀に和食「つぼみ」を展開。温故知新を信条に、鰻を中心とした外食の発展を目指している。